Yちゃん20年以上も前、私は人生の迷路に迷い込み、生きることの意味を虚しく問い続けていた。 障害幼児の母子通園センターで指導員の仕事をしていた私は、 様々なハンディを持つ子どもや母親達の悩みや苦しみを見ていて、 いよいよ人が何のために生きているのかわからなくなっていた。 そんなある日、新しい通園児が入ってきた。 彼女の病名に私は目を疑った。 そこには「猫泣き症候群」と書いてある。 染色体の異常によるもので、心身の発達は著しく遅れ、 か弱い泣き声が猫の声に似ていることから、その病名がついたのだそうだ。 私達は初めて知ったその病名に驚き、かつ怒った。 「こともあろうにこんな病名にするなんて、あまりにも失礼じゃない!」 しかし、彼女「Yちゃん」と付き合うようになった私は、 その病名しか思い浮かばなかった人の気持ちがわかるような気がした。 いくら話しかけても視線は合わず、笑顔もなく、 両手を前についてやっと座っている姿や、 時折悲しげに「ミー、ミー」と泣く声は、 猫とどう違うのかと思ってしまうのだった。 (人間って何なの? 人間と動物の違いって、何なの?) 私は何度となく心の中で呟いた。 それでも私の仕事は、Yちゃんの発達を少しでも促すことだった。 抱いている時には穏やかな表情をすることを手がかりに、 彼女を抱いて体をゆすったり、一緒にブランコに乗ったり、 歌を歌ったりくすぐったりを繰り返した。 それをしている時すらも、か細い声を聞くたびに、 「猫」の連想から逃れられないことがやりきれなかった。 数ヵ月後であっただろうか。 いつものようにYちゃんを抱き、 耳元で手遊び歌をささやきながら彼女の身体をくすぐった私の耳に、 「ハハ・・」とか弱い笑い声が聞こえた。 ドキッとした私は、Yちゃんの顔を覗き込む。 すると、どうだろう。彼女の丸い目と私の視線が、 初めてしっかりと合ったのである。 「Yちゃん、やった! Yちゃん、偉いね!」 私は嬉しさのあまり、ただそう繰り返した。 この子はYちゃんなんだ。病名なんて関係ない。 私と遊ぶのを喜んでくれるYちゃんなんだ。 その瞬間、私は「人間」とは何なのかを、 漠然とではあるがわかったような気がした。 彼女は私の迷路の案内人になってくれたのだ。 -1995年頃記す- ( 2004年01月09日) |